2020-07-09 第201回国会 参議院 外交防衛委員会 閉会後第1号
漁民保護のために軍を投入するのは中ソ国境や南シナ海での中国の常套手段でもあります。仮に避難港を造る際は、排除できる組織と一体でなければ極めて危ない。無人の避難港は危険だと思います。 以上のことから、海保や自衛隊の体制強化は待ったなしだと思います。
漁民保護のために軍を投入するのは中ソ国境や南シナ海での中国の常套手段でもあります。仮に避難港を造る際は、排除できる組織と一体でなければ極めて危ない。無人の避難港は危険だと思います。 以上のことから、海保や自衛隊の体制強化は待ったなしだと思います。
一九六九年、中ソ国境紛争を行ったとき、中国には戦争をやるんだということをやっていた林彪という人がいました。同じように、これを軍事衝突にしてはいけないという周恩来がいました。
でも、事前に相談もあるいは適正な報告もなければ、まず了なんと言う必要もないし、それから、この問題は下手をすると最初の段階から外交問題になる、下手をすると戦争にでもなりかねないような、今までの中国は、例えば中ソ国境紛争の問題にしろ南沙の問題にしろ、いきなりそこに農民が入ったりあるいは漁民が入ったりして、そこにその対応いかんではばっと軍隊が入ってくるというようなこともやっているわけですね。
同時にまた、一九六二年におきましては、毛沢東は、ウラル山脈から東は全部中国の領土である、こういう認識のもとに中ソ国境紛争が行われまして、五千回の紛争がなされている。これは意外と知られていないんですが、よく考えていただきたいと思うんです。 それからさらに、一九七四年におきましては、カンボジア問題をめぐりまして中国とベトナムの武力衝突がありました。
どうしたんだろうかな思ったら、軍人がわっと乗り込んで、あっ、これは一体、ちょうど中ソ国境をめぐる物すごい緊張があるときでしたから、これは一体何事かなと思ったことがありますけれども。 やっぱり軍隊と民間人とが、どっちが乗っているのか分からぬような状態というのは、やっぱり民間機の安全を守る上でもやっぱりきちっとしなくちゃならないものだというのが、シカゴ条約等で定めている精神だと思うんです。
そして、中印国境紛争、チベット反乱、中ソ国境紛争、西沙諸島の紛争、中越紛争に見られるように、政治目標を達成するためにはためらうことなく軍事力を行使したのは中国であり、天安門事件、台湾沖軍事演習で軍事力を内外に行使して威圧したことは記憶に新しいところであります。 防衛庁長官から、中国の軍事力についてどう評価されておられるか、お尋ねいたします。
私は、冷戦期の八〇年代から、中ソ国境地帯とウラジオストクのニカ所をいわば定点として同じところを何度も見るというようなフィールドワークを続けているわけであります一そのような分析的であるより実感的、体感的なものなんですが、感想を述べますと、例えば中ソ国境地帯に黒河、ヘイホーという町がございます。対岸がアムール州の州都ブラゴベシチェンスクというロシアの町であります。
それから一九六九年には中ソ国境紛争というのがありまして、このときも中国軍は派遣されております。それから一九七九年には、ベトナムとの間の中越戦争と言われるものですが、このときも軍事力を行使しております。それから一九八八年には南沙群島に兵を派遣しております。
今の状況ではウクライナから遠く何千キロを越えて食糧を選ばざるを得ない、そういう状況にありますが、将来シベリア開発に大量の食糧が必要となったときに、中ソ国境の三江平原において食糧が生産されてそれが供給されるとなれば、私はシベリア開発、環日本海のこれからの大きな経済発展に大変役立つのではないか、こういう感じがします。
だから、中国からそういう要請があったら、私はこれにこたえて円借款の対象にして推進するということが、中国十三億の将来の民族の食料のためにも、あるいは将来シベリア開発を環日本海でやるときに、ウクライナから食料を運ぶんじゃなしに中ソ国境から食料を供給すればシベリアの開発も進めやすい、いろいろな点から考えて大事な問題じゃないかと思うのですが、これについてひとつ大臣の見解をお伺いしたい。
大洪水が最近あって、水害でどうなっているかなという心配と、それから中ソ国境にこの三江平原はまさに隣り合わせですから、だから、この間のようなソ連のクーデターがあのまま続くと中ソ関係の国境の緊張等が生まれはしないか、こういう心配をしておったんですが、幸いにゴルバチョフ大統領は復権をしたということで、その懸念がなくなったと大変喜んでおります。
○兵藤政府委員 中ソ国境をめぐりますいろいろな紛争は長年の多岐にわたるわけでございます。ある時期には先生御指摘のとおり一部の国境線をめぐりまして砲火まで交えるという極めて緊張した状況もあったわけでございます。そういう中で私どもも最近ソ連、中国両政府による精力的な交渉の中でかなり実質的な合意が達成されているというふうに承知をいたしております。
大きな戦争はないでしょうけれども、東ヨーロッパから中東あるいは中ソ国境、ソ連周辺、そういうところの非常に歴史的な民族の移動あるいは国境の変更というところで、民族の混在の中からいろいろな紛争が起こるのじゃないだろうか、あるいは、今回のケースがそうだと思いますけれども、地域的なヘゲモニーをとろうとするようなことが起こるのじゃないだろうか、あるいは国際テロ、核とか化学兵器の拡散、麻薬と、いわゆる低強度の紛争
例えばソビエトの状況を見ますと、アジア部で二十万、極東では十二万を削減します、モンゴル、ベトナムのアジア地域からソ連軍を撤退させます、中ソ国境もそういう方向で動きますと。現にその削減が始まっているのであります。アメリカも同様であります。アジア駐留軍の一割削減計画を明らかにした。日本、韓国、フィリピンで一万三千人を減らしていく、それを第一段階として第二、第三段階も想定をしておる。
そのときには二万五千キロ、中国の昆明、重慶から東北の中ソ国境に至るまで、七十五日間、恐らく日本人が戦後初めて行ったところが大部分だったのですが、訪ねて、日中青年不戦の誓いを結んだという青年交流についての思い出と歴史があるんですが、その翌年、戦後初めて中国の青年連合会の代表十名を日本に昭和三十二年に迎えました。
一方、東アジアに目を向けますと、確かに現在でも、例えば中ソ国境や朝鮮半島におきましては陸上兵力を中心といたしまして軍事的な対峙する状況が存在はいたしておりますが、ヨーロッパのように全体が二つの陣営に分かれて対峙する、こういうようなはっきりした状況ではございません。また、アジアの場合は地形が複雑なために軍事的にも陸上、海上兵力が複雑に対峙している状況にあると思うわけであります。
中ソ国境のソ連軍の削減、カムラン湾からの航空機の撤去、ソ連太平洋艦隊の旧式艦艇の退役などはあるが、近代化努力もあるので、この地域のソ連の海・空軍能力はおそらく増大した。」というように証言をいたしております。
アジアの中ソ国境も八五年厳しい対峙をしていた国境地帯、八九年ゴルバチョフ訪中の直前の一カ月、中ソ国境を取材した経験を持っています。そういう経験と問題意識から、きょうのテーマについて私の意見を述べさせていただきたいというふうに思います。
戦域レベルにおける対立、これは中ソの対立とNATO、ヨーロッパ正面における対立でありましょうが、中ソにおいては国境委員会が続いておりまして、私自身見ましたけれども、中ソ国境においては今もう警備の主流は軍からKGB、国家保安委員会です。
また、中ソ国境からの一部兵力削減、モンゴル駐留軍の撤退、カムラン湾からの一部兵力撤退もありまして、極東ソ連軍につきましても量的にはある程度の減少が見られると言ってよろしいかと思います。しかしながら、極東ソ連軍全体を見てみますと、海空戦力を中心に質的増強が継続されている模様でございまして、しかも大きな核戦力は引き続き存在しているという状況にございます。
アジアの問題が議論されましたけれども、アジアにおいては中ソ国境とか朝鮮半島においてある種の軍事的な対峙があることは御承知のとおりでありますが、ただ、日本とソ連との関係を見てまいりますと、日本はソ連の膨大な軍事力について潜在的脅威を確かに感じております。しかし、ソ連の方は日本から侵略される脅威感を感じているということはないのじゃないかと思うのですね。
しかし、中ソ国境の兵力削減交渉は続けられ、モンゴルやカムラン湾からのソ連軍の一部撤退は実施されました。アメリカもまた、今後二、三年の間に一〇%から一二%の穏やかな兵力調整という名の兵力削減を行う、日本、韓国、フィリピンでそれをやると発表いたしました。